大手化粧品メーカーの世界に飛び込んで、
ようやく仕事にも慣れ、
顧客もできてきた頃、
そして、
子供たちの保育園も決まった矢先、
なんと、
お引越しすることになってしまったんです!
そう、
当サロンのある今の自宅に。
もーー、なんでこのタイミングーー!?
やっとのことで仕事も築き上げてきたのに。店も改築して、きれいなサロンになったのに。
神様のいじわるーーーー!
と言うたところで、
もう決まってしまったから
どうしようもなくて。
すごーく悩みました。
所属店を移籍する方法もないことはなかったのですが、
ちょっと古い体制を引きずってて、
変わることもできず、
でも、やっぱり、この仕事続けたいし。
と、そんな思いで、
じゃあ、自宅を拠点にして
一匹狼でやってやろうじゃないの!
って、また自分を追い込むような方向に
持っていってしまう私。
引越して数年は
所属店を行ったり来たりしながら、
徐々に自宅を中心として
仕事するように。
でもでも、当時はまだ
お客様のところに出向いての
出張エステとかだったので、
エステを中心に自分ちでやるなんて
思ってもいなかった。
フェイシャルエステの資格を
とってからは、
結構調子よく、軌道に乗ってきたものの、
なんだか、心に引っかかるものが。
会社の中で同じグループの人は
どんどんお店を出していき、また
こっちにも、
だんだん圧力かかってくる。
「店出したら絶対いいから」
って。
お客様との出逢いは
とてもとてもかけがえのないもので、
やればやるほど、
楽しくて楽しくて。
その反面、
自分の心は、
追い込み、追い込まれ。
売り上げ、売り上げ、売り上げ、、
もう頭の中、
数字がグルグル。
出しては閉める店も数知れず知ってる。
そんなに私、
器の大きい人間じゃない。。
本当やりたことって。。?
と、そんな矢先、とうとう、
ストップがかかってしまった。。
「長女の登校拒否 & 3人目の妊娠」の
ダブルできたのは、
36歳の時でした。
そんなことがある前に、
四柱推命の占いで、
「あなたはねー、忙しい人なんだから、
仕事なんて二の次よ」
って言われたのは、
ウソじゃなかった。
中国4000年の歴史の統計学は
さすがですわ。。。
そんなこんなで、
お客様には事情を話したら、
「萩原さんち行く行くー」
っ言ってくださって。
それまで、お宅に出向くのが
当たり前だと思っていたし、
戸惑いながらも
とてもとてもありがたかった。
それが、
「萩原さんちのエステルーム」
の始まりだったかな。
家族がいろいろ協力してくれて、
部屋の半分を区切ったり、
照明つけてくれたりと。
家族が応援してくれて。
サロンなんて
大きな顔して言えないけど、
この場所、
すっごく思い入れがあって、
なるべくしてなった部屋、
だとだと思ってる。
お陰さまで、
臨月近くまでエステできたし、
出産後も2カ月ぐらいで復帰できて。
学校に行けなくなった娘とも、
とことん向き合えて。
本当に良い時間が与えられたなー。
家族がいながら、
子育てしながらの仕事って、
結局、
「折り合いつけながら」
やりなさいって、
そういうことなんだな。
そう受け止めることに決めた。